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京都地方裁判所 昭和36年(ヨ)361号 判決

申請人 岡本孝信

被申請人 宗教法人聖護院

主文

本件仮処分申請はこれを却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

事実

申請人訴訟代理人は、

「被申請人が申請人に対し昭和三六年八月二日付でなした被申請人の責任役員解任の意思表示の効力を停止する。」との判決を求め、その理由として、

「一、被申請人は申請外宗教法人修験宗(以下申請外修験宗という)を包括団体とする宗教法人であり、申請人は昭和三四年五月四日から被申請人の責任役員たる地位にある者であるが、被申請人は、申請人に対し、昭和三六年八月二日付同年同月三日到達の内容証明郵便で寺務の都合により右の責任役員たる地位を解任する旨の告知して来た。しかしながら、右解任告知は、次の理由により無効である。

(1)  被申請人と申請人との間の関係は被申請人の規則(宗教法人聖護院規則。以下単に規則という)によつて定められているが、同規則は申請人の責任役員たる地位は五年間の任期中これを解任しないと黙示的に定めているのに、右解任告知はこの定めに反してなされたものである。すなわち、宗教法人法第一二条第一項第五号は責任役員の任免に関する事項を宗教法人規則の必要的記載事項とするのに、被申請人の規則(宗教法人聖護院規則)は責任役員の免に関する事項についての明文の規定を欠くので、一見被申請人の設立無効を来たすのではないかと考えられそうであるが、およそ人は無効行為を欲して法律行為をするものではないから、右の規則には責任役員の免に関する事項について何らかの黙示的規定が含まれていると解するほかなく、そこで右の規則を更に探求すれば、第九条第一項は代表役員の任期は終身とすると規定し、同条第二項は責任役員の任期は五年とすると規定するのであるが、代表役員(住職)については終身その身分が保障されている事例が多いことに鑑み、右第九条第一項の規定は代表役員についてはこれに対する解任告知権を放棄し終身その身分を保障する趣旨を含むものと解することができ、更に代表役員と責任役員とをこの点に関し区別すべき明確な根拠を欠くところから、右第九条第二項の規定も責任役員についてはこれに対する解任告知権を放棄し五年間の任期中はその身分を保障する趣旨を含むものと解することができるのであり、他にこの点についての規定がないところよりしてそう解さざるを得ないのであつて、このように被申請人の規則は責任役員の免に関する事項については解任告知権放棄の特約の黙示的規定という形で規定していると解してはじめて、被申請人は設立無効を免れるのである。従つて、右規則には、被申請人と申請人との間には右規定により申請人の地位を五年間の任期中は解任しないという解任告知権放棄の黙示の定めが存在するといわざるを得ない。然るに、前記解任告知はこれに反してなされたものである。

(2)  仮りにそうでないとしても、前記解任告知は、被申請人のおよそ宗教法人らしからぬ在り方を是正しようとした申請人らの正当な行動を被申請人(実際には被申請人代表役員)が嫌忌し却つて申請人を邪魔として被申請人の責任役員たる地位から追放しようとした不法な動機に基くものであつて、権利の濫用と目すべきものである。すなわち、(イ)被申請人は修験宗総本山にして門跡たる由緒ある寺院であるが、従来宗教事業の傍ら境内建物境内地の一部を利用して聖護院御殿荘なる名称のもとに料理旅館事業をも行つて来たものであるところ、右料理旅館事業も精神修養社会奉仕を目的とし信者有縁の利用を限度としていた間は問題もなかつたのであるけれども、次第にこれが営利本位に堕するようになり、やがて申請外株式会社聖護院御殿荘(以下単に申請外会社という)が設立され被申請人が昭和三六年一月一六日右申請外会社に対し右料理旅館事業に関する一切の権利を譲渡しかつ右申請外会社の料理旅館営業のため境内建物境内地の大部分を賃貸するに及んでますますそれが著しくなり、右申請外会社は被申請人の境内建物境内地の大部分を独占的に営利本位に使用するため、被申請人は自己の宗教行事すら自由に行い得なくなり被申請人の境内建物では時に乱痴気騒ぎさえ演じられることがあつて、被申請人は宗教団体本来の目的まで忘却したのではないかと感じられるに至つた。(ロ)こうした被申請人の在り方に対して修験宗の全国信者の間から強い批判の声が沸き上り聖護院の尊厳と伝統を護持しようとする動きが出て来たのは当然で、申請外修験宗ではこの問題に対処するため部長総会や宗会議員全員協議会を開催したが、その席上でも本庁(申請外修験宗のこと)本山(被申請人のこと)は一体であることが確認され、次いでその趣旨に沿う申請外修験宗の規則の改正案が可決され、更に申請外修験宗の代表役員(管長)としての被申請人代表役員(住職)に対する不信任が決議された。申請人は、右の信者や宗会議員の意見や行動を正しいものと考えつつも問題を表面化させないために信者や宗会議員と被申請人代表役員との間に立つて被申請人を宗教法人本来の姿に戻すべく被申請人代表役員に対し種々建設的な進言をし来つたのである。(ハ)ところが被申請人代表役員は、これを快く思わず、申請外修験宗は前記規則改正によつて被申請人の資産を取込もうとしており申請人はそれに加担しているのだと曲解し、被申請人の申請外修験宗からの離脱を決意し、そのために、これに反対する申請人を被申請人の責任役員たる地位から予め排除して自己の意のままになる責任役員を選任し右離脱を強行しようとして、前記解任告知をしたのである。以上の次第であるから、前記解任告知は権利の濫用である。

二、そこで申請人は被申請人に対し前記解任告知の無効確認の訴訟を提起中であるが、被申請人は、すでに申請人に代る責任役員を選任しているので、責任役員全員一致の形式的理由に藉口しいかなる違法不当な行為に出るかも測り知れず、かくては聖護院の尊厳と伝統が冒涜されるおそれがあるから、右訴訟の本案判決あるまでの間も申請人が被申請人の責任役員たる仮の地位を保有する必要がある。よつて本件申請に及んだ。」

と述べ、

被申請人の主張に対する答弁として、

「本庁と本山とは一体不離の関係にあるので、本庁の全国信者は一体となつて本山の尊厳と伝統を護持しなければならず、従つて本庁の全国信者を代表する宗会は当然本山の内政に関与できるしまたしなければならないわけであるが、申請人は被申請人の責任役員であるとともに申請外修験宗の総務でもあるから、申請人が申請外修験宗の宗会議員全員協議会に出席するのは当然の職務の遂行でなんら任務に背くものではなく、また申請外修験宗の規則の改正は、被申請人代表者の専横を防止し被申請人資産を護持することを目的とするもので、しかもこれによつて被申請人の全資産を申請外修験宗に移すなどということに法律的にも不可能なので単に政治的意味を持つにとどまるものであるから、右改正に賛同するのは極めて正当な行為である。

従つて申請人には何らの背信行為もない。」と述べた。

被申請人訴訟代理人は、

主文同旨の判決を求め、

答弁として、

「一、被申請人が宗教法人であり申請人がその責任役員(執事長)たる地位にあつた者であること、申請人被申請人間の関係が規則によつて規制せられていること、被申請人が昭和三六年八月二日申請人に対し右の責任役員たる地位を解任する旨の告知をしたことは、いずれも認めるが、規則が申請人主張のように解せらるべきものであること、右解任告知が権利の濫用であることは、いずれも否認する。

(1)  なるほど規則に責任役員の免に関する事項についての明文の規定を欠くこと、同規則第九条第一項第二項に申請人主張のとおりの規定があることは、いずれも申請人主張のとおりであるけれども、それだからといつて申請人主張のような解任告知権放棄の定めが規則に存在すると解すべきことにはならないし、そのような特約も存在しない。けだし、宗教法人とその責任役員との間の法律関係は委任関係と解すべきであるから、宗教法人規則中に責任役員の免に関する事項についての明文の規定を欠く場合は責任役員の解任については当然民法六五一条が適用されるものといわなくてはならないし、被申請人の規則がその点について別段の規定を設けていないこと自体それを黙示的に認めているものということができる。而して代表役員は住職がこれにあてられることになつているのであるが、住職は一般の役員とは趣を異にし宗教行事を主宰し自ら信仰の象徴帰依の対象をなすという特質を持つたものであるから、代表役員の任期が終身とされているの故をもつて責任役員もその任期中は解任されない旨の特約があると解する理由にはならない。

仮りに規則に申請人主張のような解任告知権放棄の定めが存在するとしても、被申請人は申請人に著るしい背信行為があつたためこれを解任したのである。すなわち、申請人は、被申請人の責任役員(執事長)たる地位にあり従つて被申請人のため忠実にその職務を遂行する任務があるに拘らず、その任務に背いて申請外修験宗の宗会議員の多数を語らい、申請外修験宗の規則を改正することによつて被申請人の全資産を同申請外人に移そうと企図し、種々策動したのであつて、これは被申請人に対する重大な背信行為であるというほかはないから、被申請人はそのため止むなく申請人を解任したのであつて、このような場合の解任は、規則の定めの有無にかかわらず、有効のものである。

(2)  被申請人と申請人との間の法律関係は、前記のように委任関係と解すべきであるから、被申請人は申請人をいつでもまた別段の理由なしに有効に解任することができるのであるが、被申請人は前記のとおり申請人に著るしい背信行為があつたためこれを解任したのであるから、前記解任告知は権利の濫用にはならない。すなわち、(イ)聖護院は古来門跡として少数の信者以外に檀家を持たず、その経営は明治以来聖護院講会なる頼母子講に依存していたのであるが、終戦後右頼母子講が銀行業法等に違反するものとされこれを継続することが不可能となつたため被申請人はその収入源を断たれるに至り、ここに止むなく昭和二八年末より宗教事業の傍ら聖護院御殿荘なる名称のもとに料理旅館事業を経営することになつたのである。爾来八年、聖護院御殿荘は宗教的雰囲気の中に修学旅行生各種講習会受講者等を対象とし良心的な経営がなされて来た。とはいうものの、宗教法人殊に由緒ある聖護院の伝統をつぐ被申請人が自ら料理旅館事業を経営することは、必ずしも好ましいことではないので、被申請人は昭和三六年一月一六日申請外会社に対し右料理旅館事業に関する権利を譲渡し、境内建物及び境内地の一部を賃貸したのである。そして被申請人は境内建物及び境内地のうち右賃貸にかかる部分についても宗教行事のための使用権だけは依然として確保しており、右申請外会社も被申請人の宗教行事を何ら妨げておらない。(ロ)ところが申請人は聖護院の尊厳護持という美名のもとに漸く軌道に乗り始めた聖護院御殿荘の実権を奪取せんと企図し、申請外修験宗の宗会議員等と語らい、被申請人の資産をすべて同申請外人に取込むように同申請外人の規則を改正しようとしたのであつて、申請人はこのために被申請人の業務を放擲してまで右の規則改正の実現に奔走したのである。(ハ)被申請人は、申請人にこのような著るしい背信行為があつたためこれを解任したのであつて、被申請人の申請外修験宗からの離脱を強行せんがたのその前提として申請人を解任したのではない。けだし、被申請人が申請人を解任したのは昭和三六年八月二日のことであり、被申請人が申請外修験宗からの離脱を決意したのは同年同月五日のことであつて、両者の間にはなんら関係がないからである。以上の次第であるから、前記解任告知は到底権利の濫用とはいい得ない。

二、また、本件は、申請人申請の仮処分が発せられないからといつて申請人自身に蒙るべき損害なり除去すべき不利益なりがあるわけではない(申請人も、被申請人の蒙るべき損害については主張しているが、申請人自身の蒙るべき損害なり除去すべき不利益については何ら主張していない)から、保全の必要性がない。」と述べた。

理由

被申請人が宗教法人であり申請人が昭和三四年五月四日からその責任役員(執事長)たる地位にあつた者であること、被申請人と申請人との間の関係が規則により規制せられていること、被申請人が昭和三六年八月二日申請人に対し右の責任役員たる地位を解任する旨の告知をしたことは、いずれも当事者間に争いがない。

申請人は、右解任告知は申請人の「責任役員たる地位を五年間の任期中は解任しない」という規則の定めに反してなされたものであるから無効である、と主張するので、考えてみるのに、申請人の主張自体から右の申請人主張の「責任役員たる地位を五年間の任期中解任しない」という規則の定めとは、規則の解釈によるものでそのような定めの明定を欠くことが明かであり、そして申請人がそのような解釈をとる根拠は、これを煎じつめれば、規則には役員の免に関する事項についての明文の規定を欠くから本来なら被申請人は設立無効を来たすと解さなければならないのであるが、そのような解釈は合理的でなく、従つて規則の第九条第一項の「代表役員の任期を終身とする」旨の規定及び同条第二項の「責任役員の任期を五年とする」旨の規定をそれぞれ役員の免に関する事項についての默示的規定と解さなければならない、というのにつきる。

思うに宗教法人規則中に役員の免に関する事項について明文の定めを欠く場合、同事項については、当該規則中に類推適用ないしは準用しうる規定があればそれによるべきであるが、そのような規定すらないとすれば宗教法人とその役員との法律関係は委任関係と解すべきものであるから民法の委任に関する規定すなわち民法第六五一条が適用されると解するのを相当とし、従つて宗教法人がその規則に役員の免の事項についての明文の規定を欠くからといつて直ちにその設立が無効になるわけのものではなく、このことは宗教法人が組織体であることに鑑みその成立手続を合理的客観的に解釈しできるだけ有効視しようとするのが法の企図するところであると解される点からも首肯されるところである。このように宗教法人がその規則に役員の免の事項についての明文の規定を欠くからといつてそれだけで当該法人の設立無効が招来されるわけではないのであるから、そのような規定を欠くことが宗教法人の設立を無効ならしめるという前提の下に当該宗教法人の規則中類推適用ないしは準用することのできない規定まで役員の免の事項に妥当せしめらるべきこととなるいわれのないのはもちろんのことである。さて申請人は「規則には役員の免に関する事項についての明文の規定を欠き従つて規則第九条第一、二項はそれぞれ役員の免に関する事項についての默示的規定と解すべきである」と主張するのであるが、右条項として申請人の主張する規定の内容自体からするとそれは役員の免に関する定めではなくその任期についての規定であることが明かであり、ただ同条第一項が代表役員の任期を終身と定めて居りその終身というのが当該任期中解任告知権抛棄の趣旨を含み従つて任期とともに解任告知抛棄を定めているといえないことはないけれども、それだからといつて特に終身というような特殊な概念によつて制約せられることのない同条第二項までがその任期中責任役員について解任告知権を抛棄する旨規定しているとなしがたいのは当然の事理であつて、結局同条第二項は単に責任役員の任期を定めたものにとどまりその免の事項を規定したものとは解しがたく従つて又同項はその性質上責任役員の免に関する事項に類推適用ないしは準用し得べき限りではない。そして申請人は規則に責任役員の免の事項に関する規定が欠如することは被申請人の設立を無効ならしめるが故に規則第九条第一、二項はともに役員の免に関する事項を定めたものないしは同第二項は第一項と同じく解任告知権の抛棄を定めたものと解すべきであると主張するけれども、それは立論が転倒して居りこのような場合には民法第六五一条の適用をみるべきことは前記のとおりであつて該主張は独自の見解にとどまる。してみると申請人の主張はすべて規則について独自の見解による解釈を加えその解釈に基いて始めて認められる默示の規定の存在を前提とするものであるからそれ自体失当のものであることを免れない。

そこで次に前記解任告知(以下本件解任告知という)は権利の濫用であるから無効であるとの申請人の主張について検討する。

申請人の主張するところは要するに「本件解任告知は被申請人が申請人を被申請人に不利益をはかり信頼し得ないものであるとしてないしは申請人を嫌悪してなしたものであるがそもそもそれは被申請人が一連の非行を遂げるためこれに反対する申請人を責任役員から排除しようとしてなされたのであるから従つてそのような被申請人の申請人に対する不信嫌悪は不当のものであり解任告知権の行使は権利の濫用であることを免れない」というにある。

なるほどおよそ非行のなされることは正義の許容するところではない。

しかしながら前記のとおり宗教法人とその役員との法律関係は委任と解すべきであり従つて被申請人の役員解任は委任の解除と認めるのを相当とし、そしてもともと委任は委任者と受任者との信頼関係に基いて成立しその信頼関係は人の主観的心意に依存しているものなのである。それゆえ申請人主張のとおり被申請人が申請人を信頼しないとすればその場合被申請人と申請人との間になおかつ委任関係を継続させることは一方では被申請人が自己の信頼しない申請人に事務の処理をまかせ他方では申請人が自己を信頼してくれぬ被申請人のために事務を処理するという結果を引きおこすわけでこのような事態は法によつて立つ人情倫理に反しまたそのような事態での被申請人と申請人との間の委任関係は法の本来所期しているものとは全く異質のものになりおわるわけである。

従つて非行のなされることが正義の許容しないところであるにしても、その正義が本件解任告知の効果を否認排除するのは、それが単なる私人間の利害得失を基調とする人情自然の倫理その他の規範から流出する場合では足らず却つてこれを超えかつこれを無視しても実現せらるべき正義-例えば公共的利益や強行法規の要求するような正義-である場合でなければならない。

ところで申請人主張の被申請人の一連の非行とは、その主張によると被申請人がその境内建物境内地の大部分を旅館料理業を営む申請外会社に賃貸しその結果宗教行事をかえりみず時には境内建物で乱痴気さわぎが演ぜられるのを許容しているなど宗教法人にふさわしくない所行その他の所為(申請人はその他の所為を多多あげているがいずれもその主張自体から右「宗教法人にふさわしくない所行」に付随関連する二次的なものにすぎないことが明かであるから特に取上げて判断することをしない)なのであるから、仮に申請人主張のとおり右非行が申請人、申請外修験宗およびその関係者、被申請人およびその関係者、申請外会社に利害関係があるにしても、それは宗教的規範に反するという点で特異性があるけれども特定私人間の個人的な利害得失の範囲内で当不当が問われるだけの性質のものにとどまりその範囲を超えるものとはなしがたい。(なお宗教的規範違反は個人的利益を超える面を含む場合があるが申請人の主張にはこのような場合を含めていない。そして申請人の主張では被申請人申請外修験宗がともに宗教法人で被申請人は同申請外人の総本山であるとしかつ又被申請人の「宗教法人にふさわしくない所為」に関し宗教上の施設宗教行事を取上げているけれどもそれらは事の性質上一般大衆に間接的に影響があるというだけで公共的利益に直接関係するものとすることはできない)

してみると被申請人の一連の非行をなそうという本件解任告知の動機は、動機それ自体として当不当の問題を惹起することはあり得るけれども、その当不当はいまだ本件解任告知の効果を排除するに足る実体的正義の範域に及ばないものであり、従つて本件解任告知の行使は被申請人がそのような動機を有していたからといつて権利の濫用には当らないというべきである。

してみると申請人の権利濫用の主張はこれまた主張自体失当というの外はない。

よつて、右各主張の認められることを前提とする本件仮処分申請は、爾余の点について判断するまでもなく失当であるから、これを却下することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木辰行 菅浩行 露木靖郎)

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